約20年前のことになりますが、私の通っている大学の学園祭に杉本清アナウンサーがいらっしゃって、競馬の講演会をしてくださったことがあります。
大学の大きな1つの教室で講演してくださったのですが、当然のことながら教室は満杯でした。
今回の記事では、このときの様子を記憶の許すかぎり、お伝えしたいと思います。
杉本清アナウンサーは、実況前はいつも焦っていた?
杉本清アナウンサーは、主に関西の競馬のレースを実況していたのは、よく知られていると思います。
そして、実況するときは、いつも隣に競馬評論家の大坪元雄さんがいらっしゃいました。
で、大坪元雄さんって、一部の競馬ファンからは、競走馬の言い間違いをすることでも有名でした(笑)
けれども、その原因の1つは、実は杉本アナにあったという話です。
どういうことかというと…
杉本アナはレース前に競走馬の名前を覚えるのに必死なので、大坪さんに話をふって時間をかせぐことがよくあったそうです。
大坪さんの話が終わっても、まだ競走馬の名前を覚えきれていないときは、何回も大坪さんに話をふるんだとか。
杉本アナ自身、レースの前はいつも焦っていて、とてもじゃないけど話に集中できなかったそうです。
だから、大坪さんの話も実はほとんど聞いていないことが多いとおっしゃっていました(笑)
そういう状況なので、大坪元雄さんが馬名の言い間違いをするのは仕方のないことかも。
杉本アナ曰く「大坪元雄さんには、いつも助けられています」とのことでした(^^♪
杉本清アナウンサーと武豊騎手の相性について
当然ですが、杉本清アナウンサーも馬券をよく買ってらっしゃいます。
宝塚記念の「今年もあなたの、そして私の夢が走ります。あなたの夢は何でしょう?私の夢は○○です!」というフレーズは、もはや名言ですね。
ですが、杉本アナの夢(馬券を買った馬)はレースに勝つことはなく、競馬関係者からも「うちの馬の名前は出さないでくれ」と言われてしまうほどです(笑)
中でも、杉本アナと武豊騎手との(馬券の)相性はよくないとおっしゃってました。
武豊騎手が乗る馬の馬券を買うと、必ず外れるんだそうです。
いつぞやは、武豊騎手が杉本アナに自信満々に期待してくださいと言われにもかかわらず、その馬券さえ外れてしまったとのこと。
なので、武豊騎手が乗る馬の馬券はあまり買わないようにしているそうですが、やはり買わないときに限って、武豊騎手が勝つことが多いそうです。
具体的なレース名はふせますが、とあるレースで武豊騎手鞍上の馬が、前がふさがってなかなか抜け出すことができないときがあり、このままで馬券が当たると思っていたのが…
さすがは武豊騎手で、一瞬のすきを突いて抜けだし1着になったときは、実況でその馬の名前を連呼するも、内心複雑だったということもあったそうです。
そういうわけで、武豊騎手が憎らしいと冗談交じりに語っていました。
杉本清アナウンサーの印象に残っているレース
教室には大型のモニターが配置され、杉本清アナウンサーの印象に残っているレースの映像が披露されました。
ここでは、そのレースについてお伝えしていきます。
テンポイントVSトウショウボーイの有馬記念
杉本清アナウンサーがテンポイントびいきだったのは、よく知られていますよね。
いわゆるTTG(トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラス)の3強が活躍した時代ですが、この頃は今のように西高東低ではなく、まだまだ東の馬が強い時代でした。
その中で、関西からも強い馬が出てこないかと思っていた時に、現れたのがテンポイントでした。
けれども、クラシックは1冠もとれず、宿敵であるトウショウボーイに先着したことはあるものの、同馬とのレースで1着になったことはありませんでした。
そして、トウショウボーイの引退レースとなった第22回有馬記念を迎えます。
このときの有馬記念が、今でも競馬史上最高の名勝負と言われるレースです。
しかも、有馬記念なので普通なら関東のアナウンサーの実況となるはずですが、関西テレビがテンポイントの特番を作成するために特別に収録することになり、実況は杉本アナが担当することになりました。
このことからも、杉本アナはテンポイントとの縁を強く感じるとおっしゃっていました。
さて、この有馬記念については多くを語らなくてもよいでしょう。
私もこの講演会の以前より、何度もビデオで観たことのあるレースです。
「中山の直線を流星が走りました!テンポイントです!」
「しかし、負けたトウショウボーイも強かった!」
杉本アナの実況も、名文句として語り継がれていますね。
あえて付け加えるとするならば、ゴール前でテンポイントとトウショウボーイの叩き合いとなったところで、グリーングラスが外から伸びてきて、
「外から怖い怖いグリーングラス!外から怖い怖いグリーングラス!」
と、杉本アナが絶叫したところで、教室内では爆笑が起こりました(^^;)
笑うところではないと思うんですけどね(汗)
ミスターシービーの菊花賞
1983年に史上3頭目となる牡馬クラシック三冠を達成したミスターシービー。
私が一番好きな馬でもあります。
ミスターシービーが3冠を達成したときの菊花賞の実況をしたのが、他ならぬ杉本清アナウンサーでした。
杉本清さんが印象に残っているレースとしてミスターシービーの菊花賞を披露してくださったのは、めちゃめちゃ嬉しかったです。
杉本清さんの話によると、ミスターシービーは普通の家の庶民出身、シンボリルドルフは良家のおぼっちゃま。
シンボリルドルフはみなさんのような○○大学出身で、ミスターシービーは私立の○○大学出身のようなものですとのこと。
だた、まあ、このように言われると、個人的にはちょっと複雑でしたね(汗)
さて、このレースも多くを語らなくてもよいでしょう。
ミスターシービーはいつものように最後方で待機しますが、第3コーナー上り坂からしかけていき、先行する馬を次々と抜きさっていきます。
ゆっくり下ることがセオリーとされる坂の手前で加速したわけで、
「お~と、青い帽子が行った!行った!」
「坂の手前で仕掛けたぞ!坂の手前で仕掛けたぞ!」
「この坂をどう下るのか?この坂をどう下るのか?」
と、杉本アナもかなり驚いた様子。
そして、最後の直線では、
「吉永が左右を確認して、さあ、ミスターシービー先頭だ!」
「ミスターシービー逃げる!逃げる!」
「19年ぶりの3冠か?19年ぶりの3冠か?」
そのまま、ミスターシービーは後続の追撃を振り切り1着でゴールしました。
「ミスターシービー、19年ぶりの3冠達成!」
数多くの馬券が競馬場内で舞い上がり、場内は大歓声に包まれます。
「ダービーに続いて、ものすごい競馬をしましたミスターシービー!」
まさに、常識破りの3冠馬と言われるゆえんですね、
ライスシャワーに対する評価
杉本清アナウンサーはライスシャワーについても語ってくださいました。
これは、印象に残っているレースとして映像で披露したわけではなく、学生の質問に答えた形です。
杉本清さんの印象に残っているレースとして紹介されたのは、上記の2つだけです。
学生の質問は「杉本清さんはライスシャワーが嫌いなんですか?」というド直球の質問!でした。
これに対して杉本清さんは
「嫌いなことは全くないです。むしろ応援してたくらいです。ただ、メジロマックイーンとミホノブルボンに勝った馬で、そんな大物の大記録を阻止したので、もうちょっと頑張ってくれないと、メジロマックイーンとミホノブルボンに申し訳ないんじゃないかという気持ちはありました」
というような内容のことをおっしゃっていました。
また、1995年の天皇賞(春)でライスシャワーが久々に優勝したとき、レース直後に、
「やったやった!ライスシャワーです!」
「メジロマックイーンもミホノブルボンも牧場で喜んでいることでしょう」
と、実況しましたが、実は写真判定の結果が出るまで、自分の言ったことが間違いでありませんように、ライスシャワーが1着でありますようにと、内心ヒヤヒヤしながら祈っていたそうです(^^;)
まとめ
以上、私の通っていた大学の学園祭に杉本清アナウンサーが来ていただいて、講演会をしてくださったときの様子でした。
もちろん、上記以外にも色々なことを語ったくださったと思いますが、もう20年くらい前のことなので、これ以上の細かなことは覚えていないんですね。
それでも、なかなか興味深いお話だったのではないでしょうか。
特に競馬ファンのみなさんに対して、ご参考になれば幸いです。